講師プロフィールについて
山田絢子(Ms.Yamada)
【経験】
子ども英会話講師
インターの国語講師
English Preschoolで探究学習のマネージャー
【資格】
英検準1級
幼保英検1級
保育士
幼稚園教諭
小学校教諭
救急支援員
チャイルドコーチングアドバイザー
プロフィール詳細
幼少期
7人家族の末っ子として生まれました。兄がふたりの3人兄弟で、年が離れていたので、家族からはたくさんかわいがってもらいました。
父の教育方針が「やりたいことはやってみなさい」で、なんでも体験することを大切に育てられました。小さいころから夏休みやなどの長期休暇には毎回キャンプや魚釣り、スキーに連れ出されていました。
当時はこんなにもキャンプが盛んではなかったので、キャンプ場ではなく、野営のキャンプばかりでした。バブルの時代ということもあり、周りのお友達はリゾートホテルに泊まったり、遊園地に連れて行ってもらったりしていたのに、うちだけお風呂もトイレもないキャンプばかりで文句を言っていたのを覚えています。
今となってはそんな経験がどんな状況でも楽しくやっていける逞しさにつながったと思います。
幼稚園~学生時代
そんな私が教育者にむいていると初めて言ったのは幼稚園の先生でした。
そして、小学校に上がり、音楽の先生にもそう言われていたそうです。母もずっと私が幼稚園の先生になるものだと思っていたようですが、残念ながら私は学校卒業後すぐには教育関係では働きませんでした。
その理由が、「勉強が嫌い」だったからです。
今は勉強が大好きなので、この話を今の私を知っている人が聞くと驚かれますが、本当に大嫌いで、高校受験も「公立で、5教科で受かる学校はない」と先生に言われたほどでした。
ただ、中学生の頃、映画が好きで、ずっとアメリカに行きたいと思い、英語だけは勉強できたので、高校と短大に英語だけの受験でいける学校を選びました。
とりあえず行くことになった短大の2年間、大阪のシェアハウスで海外から来た人とのシェアハウスに住んでいました。英語でコミュニケーションを取ることができるようになり、初めてのバックパッカーに出たのもこの頃です。デビューはオーストラリアに、友人と1週間だけ過ごし、その後の3週間ほどを自分一人で旅をするというものでした。
当時は携帯もなく、クレジットカードも持たず、トラベラーズチェックと現金で。(今思えばどうやって旅行してたのか不思議なくらい、今は便利になりましたよね。)旅は本当に楽しくて、仕方なかったのですが、英語力の低さにどこ行っても緊張の方が大きかったのと、がまんばかりしていました。
それでも、日本で見る景色とはすべてが違って、刺激的な旅でした。それから一人旅にはまり、短大卒業後も英語圏を中心に、派遣で働いてお金を貯めては海外に行くような生活をしていました。
天職との出会い
派遣の仕事はデパートを中心に販売の仕事をしていました。結局は人と関わることが好きなので、その仕事はその仕事で楽しんで勤めていました。ただ、販売の仕事は場所によってはノルマのようなものがあったり、一日の売り上げの個人成績のようなものがあり、それが苦痛でした。
お客様によろこんでほしいという気持ちが大きく、効率の悪い販売員だったと思います。そこでの経験から、私は誰かとコミュニケーションを通してその人を笑顔にするような関わりがしたいんだと気づきました。
そんな私が教育業界に初めて就いたのが「子ども英会話」の講師でした。英語はある程度話せてはいたものの、教えるほどでもないんだけど・・・と思いながら働き始めたのですが、ここで私は「子ども×英語」が自分の天職だと気づきました。
当時のマネージャーからもかわいがってもらい、仕事はハードでしたが、充実した毎日でした。「英語教育」についてたくさんのことを学ばせてもらい、英語の教える順番一つ一つに意味があることや、どう子どもの興味をひくかなど、「教育の基本」を学びました。
妊娠を機に辞めたのですが、その後も英語を教えてほしいと何人かの生徒からご連絡をいただくことも。ここでの数年が、「子ども達を笑顔にしたい」と言う自分の核が作られたと思います。
教育者になる夢
娘が1歳の時、インターナショナルスクールの保育補助のパートを始めました。外国人の先生が英語でいろんな教科を教え、日本人スタッフは持ち物の整理をしたり、トイレの補助をしたりするのが仕事でした。
ここでの仕事がさらに私の転機になりました。
日本人がメインで教育をするのではなく、外国人の先生がメインで教育をしていました。外国人の先生方はオーストラリア、アメリカ、フィリピン、シンガポール、カナダ、エジプト等の多種多様な国から来ていて、バックグラウンドも様々で教育を専攻とされていらっしゃる方はいなかったと思います。
そんな学校での経験は強烈で、「教育とは」と考えさせられるようになりました。そんな疑問から保育士の資格は独学で、幼稚園教員と小学校教員の免許を取るため通信大学に通い始めました。職場でもアシスタントから日本語講師にかわり、より「保育」から「教育」に興味が向きました。
勉強しだしてから2年も経たない頃、友人の紹介で建築関係の社長との出会いがあり、私が教育について熱く語ったところ、前職のEnglish Preschool計画が始まりました。
私は経営の事は全くわからなかったのと、教育に専念したかったこともあり、経営は前職の事務長に、英語教育はその前の子ども英会話講師時代のアメリカ人の同僚に、そして前職で一緒に保育スタッフとして働いていた同僚に声をかけ、この4人でスタートしました。
★新しいことを決めたり、決まっていたものも改善したりの毎日でしたし、大学で学んだ最新の教育をすぐに子ども達にダイレクトに伝えることができたこと、子ども達の成長を間近で見られること私にとってとても成長を感じる7年でした。
探究学習・STEAM教育との出会い
この7年の間に今回スクールを起ち上げることになった、探究学習とSTEAM教育に出会いました。
特に、探究学習は「生きる力」そのものだと思います。私が娘の出産を機に、勉強に目覚め、いろんなことを「知りたい」、「学びたい」そう思うようになりました。もし、小さいころにこの楽しさに出会えてたら私はどんな人間になっていたんだろう?と少し残念な気持ちもあります。
私みたいに5教科が苦手な子でも、得意な分野や、学びたいことを見つけることで「自分もできる!」と自信を持つことができると思います。私と関わる子ども達が少しでも「学び」に意欲的になってほしいと強く願っています。
Kobe Kids Baseを起ち上げるか悩んでいた頃に某国立大学で留学生のお手伝いをする仕事に短期で勤めることになりました。そこで出会う先生方や生徒たちの意欲や視野の広さには本当に尊敬しています。
そして、今まで見たことのない世界を横からですが見ることができ、そういう世界に私の生徒たちも・・・と思うと子ども達の成長にもっとワクワクするようになりました。
学習の最終ゴールが高学歴だとは思えませんし、それが最重要事項ではないことには変わりありませんが、やはり志高い仲間がいる環境は素敵だと思います。そして、いろんなチャンスにも恵まれるのもまちがいありません。
ただ、チャンスが多くても、そのチャンスをつかめるかどうかはその子次第。そんな時にチャンスをつかみ、「自分の生きたい人生を生きてくる力」を育てることができるのが探究学習だと改めて思いました。
「変化の大きな時代に柔軟に対応できる子を育てる。」これがこれからの教育の本質的な部分だと思います。